「ひとつだけ、君とのやくそく。」第一話  思い出

今となっては、思い出となった、君と過ごした12年。思い出すたび、涙があふれて、止まらなくなる。本当は、一緒に行きたかった。中学へ。だけど、それ以上に大きな想い。
「今すぐに逢いたい。いっちゃん・・・・。」

私、田宮律は、田宮家の一人娘として、1997年4月2日、誕生した。私は、出産予定日より1カ月も早く生まれたので、とても小さかったという。それで、私は生まれてすぐに保育器に入れられた。その横に、私より2〜3時間早く生まれていた男の子が保育器の中で眠っていた。
母は、その子のお母さんらしい人と話していたらしい。その人も私と同じ日に子供を産んだという。しかし、その人は、産んだ瞬間、ショッキングなことを医師に告げられた。
「あなたの子供さんには、心臓病があります。もしかすると、10年生きられないかもしれません。」
その人は、それをきいたとたん、その場でうわーと泣きだしたらしい。母も、一緒になって泣いた。自分の子供じゃなくても・・。
それから1週間が経ち、私は病院を後にした。私の横で眠っていた男の子は、検査でまだ退院できなかった。

「名前は律だな。良い子に育つようにね。」
私に名前をつけてくれたのは、今年43歳になる父だった。母は今年で39歳。そのころ、母は仕事先をパン屋からケーキ屋に変えたらしく、そこであの男の子のお母さんが偶然にも働いていたという。住んでいるのも、私が住む布袋町のすぐ隣の早平というところだった。
それから毎日、母は男の子のお母さんー中立さんーといろいろしゃべるようになった。中立さんの子供は、一樹くんというらしく、病気を気にせず、すくすく育っている、と。

それから3年が経ち、私は近くの大森幼稚園というところに入園した。初めての団体生活に、母は不安を持っていた。先生が幸いなことに、優しい人だったらしい。その団体のなかに、中立さんの姿があった。一樹くんも同じクラスだった。

母のお陰ということもあって、私は一樹くんと仲良くなった。呼び方も、いっちゃんになった。いっちゃんも、私のことを、りっちゃんと呼ぶようになった。

第二話へと続く。